マッチボックス 福島県福島市置賜町のライブハウス&スナック

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『遠藤ミチロウ』ライブ

2016年7月9日 (土)

OPEN 19:30 START 20:00

前売り 3000円(1D付) 当日 3500円(1D付)

ライブ詳細

久々、ミチロウさん登場です。
言わずと知れた、J-PUNK界の宝。

あえて、wikiより・・・

1972年

1980年
  • 6月6日 – ドラムの乾純を固定メンバーとしてその後【バラシ】、【自閉体】を経てザ・スターリンを結成。演劇的とも呼べる派手なライブ活動で社会的なムーブメントを起こす。映像作家である石井聰亙とも交流があり、映画『爆裂都市 BURST CITY』にも【マッドスターリン】という役名でバンドとして出演している。映画の中で遠藤は臓物・豚の頭を客席に投げ込むなどのパフォーマンスを行い、当時のザ・スターリンの過激なステージングが疑似体験できる。また石井聰亙ザ・スターリンPV、ラストライブビデオの監督も務めた。
1982年
  • 7月1日 – 徳間音工(現在の徳間ジャパン)からシングル『ロマンチスト』、アルバム『STOP JAP』でメジャーデビュー。オリコン50位内に食い込み、バンドのスキャンダラス性と共に話題になる。
1983年
1984年
1985年
  • 2月 – ザ・スターリン解散。その後、ソロプロジェクトを始動。【Michiro,Get the Help!】というユニット名でG.N.P(グロテスク・ニュー・ポップ)をテーマに三部作を発表。
1986年
  • 5月21日THE ROOSTERZのギタリスト下山淳と共に【ゲイノーブラザーズ】を結成し、アルバム『破産』を発表する。
1987年
  • 【パラノイア・スター】や【ビデオ・スターリン】を結成し、並行して活動を行う。
  • 7月5日 – 【パラノイア・スター】として制作したアルバム『TERMINAL』を発表する。
1989年
1990年
1993年
  • 【スターリン】解散。以後アコースティック・ソロの形態でソロ活動に入る。『お百度参りツアー』など、全国のライブハウスを転転とギター1本で廻るツアー活動も開始。バンドとはまた違った、自由でユニークなソロ活動を展開。ここで演奏を行った全国のライブハウスやバーを、書籍として「音泉Map 150」で紹介している。
1994年
1995年
  • 8月15日 – 戦後五十周年のこの年には今井寿らをゲストにザ・スターリンを復活させ(名義は【THE STALIN15】)、ON AIR EASTにて一夜限りのライブを行う。ザ・スターリンはその後、1996年元スターリンのベーシストである杉山晋太郎追悼ライブにて、2001年スターリンのトリビュートアルバム発売記念ライブにて復活している。
2001年
  • 正月に奄美大島へ向かう飛行機内で当時BLANKEY JET CITYのドラマーであり、元ザ・スターリンのドラマーでもあった中村達也と邂逅し、奄美大島のライブでアンコールにてセッションを行う。これを機にそれまでソロとして活動を続けていた遠藤であったが、中村達也とのユニット【TOUCH-ME】を結成し、以降の複数のアコースティックバンド結成へとつながっていく。
2002年
  • 石塚俊明とのユニット【NOTALIN’S】の活動がスタート。
2003年
  • 上記のユニットにチェロの坂本弘道を迎えて、トリオバンドとして活動。
2004年
2005年
  • 東口トルエンズ、MOSTの山本久土が参加し、より音に厚みを持った<アコースティックスターリン>とも呼ばれる新たなサウンドを提示した。宮藤官九郎主催のイベント『グループ魂』への出演や、フジ・ロック・フェスティバルでの演奏も行う。映画『アイデン&ティティ』にも冒頭のインタビューシーンで登場。
2005年
  • 自身の55歳になる11月15日の誕生日を最終日とした五日間連続ライブを敢行。その模様はDVD『Just Like a Boy』に収められている。
2008年
  • ハードコアバンドGAUZEのドラム・HIKOとのユニット【道HIKO】結成、【COMMENT ALLEZ-VOUS?】一夜限りの復活ライブを行う。
2011年